ベドウィン定着計画で便乗!?暴動 2013,12,1

11月30日(土)夕刻、イスラエル南部でベドウィンたち1500人がイスラエル政府のベドウィン対策、「プレイバー法案」に反対するデモを行った。

最初は平和的なデモだったが、そのうち、投石やタイヤを燃やすなどの暴力行為のエスカレートし、イスラエルの治安部隊との衝突する混乱となった。

ベドウィンの問題だったはずだが、いつの間にか、アラブ人たちがパレスチナの旗をふりかざして加わっており、イスラエル-パレスチナ紛争の様相になっていた。

デモは、エルサレムやハイファを含む全国のアラブの町や、西岸地区やガザ地区でも行われ、各地で、治安部隊と暴力的な衝突となった。

イスラエルの治安部隊は、催涙弾や、水砲などを使って暴徒を鎮圧。夜8時までに28人を逮捕。この衝突で、治安部隊15人が負傷している。

ネタニヤフ首相は、1日、「プレイバー計画は、ベドウィンの人々のために良い計画だ。ベドウインでもない過激派がこれを妨害する行為をイスラエルは非難する」との声明を出した。

<イスラエル領内のベドウィンの現状>

ベドウィンとは、アラビア半島からエジプトと広域にわたってテントで移動しながら、遊牧生活をする人々である。

ベドウィンたちはアラビア半島からパレスチナ地方にもやってきたが、1900年代に入ると、イスラエル独立、六日戦争など、次々に勃発する中東戦争や紛争に翻弄させられた。

特にイスラエル、西岸地区周辺にいたベドウィンは、自分の領域と思っていたところが、あれよあれよという間にイスラエル領になり、町や高速道路ができていくという問題に直面することとなった。

現在、イスラエル領内にいるベドウィンは約21万人。ネゲブ砂漠を中心に、エルサレム周囲や西岸地区にも散在する形で住んでいる。

多くは移動の遊牧をやめて、ベエルシェバやアラッドの周辺に定着している。テント生活ではあるが、電気がひかれ、テレビやインターネットもできるPCが備えられているテントもある。

しかし、これらはきちんと法律で認められた村ではない。また全般的に生活は貧しく、衛生管理や子どもの教育が不十分である。

そこでイスラエルは、領内に散在するベドウィンたちに市民として定着してもらい、子どもたちを教育し、より文化的な生活をしてもらおうと、5カ年、予算70億シェケルのベドウィン開発国家計画をたてた。それがプレイバー計画である。

<ベドウィンとイスラエル政府の文化的食い違い>

プレイバー計画では、ベドウィン部族のために、居住区を建設し、無料で土地と水洗トイレやシャワーのついた家を提供して、”文化的”な生活をしてもらおうとした。

しかし、ベドウィンは代々遊牧する人々である。根本的に「土地の所有」「自分の土地」という概念がなく、広大な市域をさして「このあたり一帯は私の支配域」と考えている。この生き方をつらぬいている自分たちこそ本物の「アラブ」だと自負する誇り高き人々である。

ベドウィンにとって、”後から勝手にやってきた”イスラエルに小さな一角と四角い家を与えられて、そこに収まるということは、筋違いを通り越して、ありえない話である。

さらに、この計画によると、ベドウインたちは、今、自分が住んでいる場所を離れ、イスラエルが指定する地区に移動しなければならない。彼らからすると「イスラエルはベドウィンをイスラエル化して、土地を搾取しようとしている」ということになる。それで、今回のデモとなったわけである。

最近では、こうした政府の政策とは別に、ベドウィンとイスラエル人がうまくコラボするプロジェクトがいくつか立ち上がって、理想的な共存に成功している。

イスラエル政府のプエイバー計画は、イスラエル人の間からも批判の声が上がっているということである。

<行き場のないベドウィン>

エルサレムから出てすぐの高速道路から、素朴なテントを連ねて住んでいるベドウィン部族が見られる。ひとつの村に見えるが、一夫多妻なので、1人の夫と複数の妻と多数の子どもたちからなる一家である。

彼らは、イスラエル独立戦争の混乱で、ベエルシェバ周辺から、エルサレム周辺地域へ押し出されてきたベドウィンである。この一家は、エルサレムから死海方面に続く高速道路によって、家族が分断されてしまった。これまでも特に問題になってきた一家である。

今は、国連などの支援を受け、近くのユダヤ人入植地で買い物をするなどしてなんとか生きのびている状態だ。

プレイバー計画によると、この一家はエリコ周辺に建設中のベドウィン村へ移住するよう要請されている。しかし、彼らはこれを拒否しつづけている。

この部族は、自分たちはアラブだと自覚しているので、パレスチナ側に身を寄せようとした。しかし、パレスチナ人は、ベドウィンを軽蔑する傾向にあるため、パレスチナ社会の一員として受け入れてもらえなかったという。

できれば、元いたベエルシェバ周辺に戻りたいが、もはや別のベドウィン部族が支配している地域になっているので、戻れないという。

・・これがベドウィン問題なのだが、今回の暴動は、それとは全く関係のないパレスチナ問題が、便乗しての暴動となったわけである。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。

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