人がいないビアドロローサ(十字架の道)2020.4.10

閉鎖され無人のエルサレム・聖墳墓教会 出展:KRM

感染者10095人・死者92人:希望の見通しでブネイ・ブラックの封鎖一部緩和

新型コロナ・パンデミック。3月11日に宣言されてから今日で30日目になる。感染者は、世界で160万人を超え、死者は9万5000人を超えて10万人に近づきつつある。(10日0:00 Worldmeter)

イスラエルの感染者は、10095人、死者は92人。呼吸器依存は、125人で依然、増え続けている。しかし、感染者の30%が、超正統派であることが判明するなどで、過越後に封鎖の緩和を始められるのではとの論議が出始めている。

www.ynetnews.com/article/697CIAUPP

実際、先週、厳しい封鎖状態に置かれたブネイ・ブラックは、4日後の10日、すでに封鎖の一部緩和が実施されたとのことである。ただし、封鎖の緩和については、保健省と経済省の間で、論議が続けられている。

www.timesofisrael.com/nationwide-lockdown-eased-bnei-brak-restrictions-relaxed-amid-cautious-optimism/

イスラエルという国は、危機はかなり早く察知して、やりすぎぐらいに備えをするが、危機が去るかどうかもかなり早く察知して、無駄を極力しない国である。イスラエルが今、制限の緩和に向かっているということは、確かにトンネルの向こうに光が見え始めているのかもしれない・・・と、小さな希望を感じるところである。

イエス・キリストの受難週:4月5−12日

イスラエルでは、5日のキリスト教のパームサンデー(キリストのエルサレム入りを記念)、8日の過越の祭に続いて、10日、グッド・フライデー(キリストの十字架での死を記念)を迎えた。12日は、イースター(復活祭・キリストの復活を記念)である。

エルサレムの旧市街には、イエスがローマ帝国の裁判を受け、鞭打たれ、十字架につけられたゴルゴダの丘までの道を記念する「ビアドロローサ(悲しみの道)」と呼ばれる巡礼の道がある。

復活祭のシーズンには、世界中からあらゆる宗派のキリスト教徒が、群衆のようにやってきて、14のステーションをたどって祈りながらこの道を歩く。1年で最も混み合う時である。

しかし、今年のビアドロローサは空っぽである。巡礼者が入れないので、最小限の僧侶(10人以下)だけが、ビアドロローサの行進などの行事を行い、最終ステーションの聖墳墓教会で祈ることになっている。その様子は、オンラインで流されるとのこと。

また、ビアドロローサに来ることができない巡礼のために、バーチャルなエルサレム訪問のプログラムも用意されている。

www.nytimes.com/2020/03/30/travel/coronavirus-virtual-reality-religion.html

こうした事態について、カトリックのフランシスコ・パットン神父は、「この道をだれも歩けないのは悲しいが、人々は、病院や自宅で、コロナウイルスと戦いながら、個人的なビア・ドロローサを歩くことになると思う。」と語った。

www.jpost.com/Israel-News/On-an-empty-Via-Dolorosa-before-Easter-praying-for-the-worlds-sick-624144

プロテスタントは、旧市街外にある園の墓で、12日、キリストの十字架と復活を祝う。ここでは毎年、世界各国から集まったクリスチャンたちが、日の出前から礼拝を行い、世界にその様子が流されていた。今年は、一回の礼拝に4人しか入れないが、オンラインで見ることになる。

石のひとりごと:このタイミング・・

以下のクリップは、先月前までのエルサレムである。今思えば、パーソナル・ディスタンスどころか、ぎゅうぎゅう詰め状態である。この様子をみながらなんとも涙が出てきた。このような光景はいまはもうない。わずか4週間の間に、完全に消滅してしまった。

今、人間の科学、社会、経済、哲学、そして宗教までも、すべてが、コロナの前に無力になっている。コロナ・パンデミックは、賢いと思っていた人間の力の無力を、一瞬にして証明してしまったのではないだろうか。

しかし、多くの人が感じているかもしれないが、この真っ只中に、聖書に記された過越と復活祭があることに、神の大きなあわれみを感じずにはいられない。

聖書によると、この人間が、罪の中で気づき上げてきた世は、恐ろしいばかりの艱難の後、終焉を迎えると書かれている。そこからの救いは、人間の努力や力ではなく、神の方法でなければ救われることはない。

その神の方法とは、イエス・キリストが、エルサレムで十字架にかかって死に、そこから復活し、神との関係を遮断していた罪を解決するということである。それによって、人と神との関係を回復させることが救いへの唯一の道である。行いの良い人が救われるのではない。自分は足りないと自覚し、神の救いを受け取る人が救われる。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を遣わされたのは、世をさばくためでなく、御子によって世が救われるためである。(ヨハネの福音書3:16−17)

筆者は、イスラエルと30年以上付き合って、はっきり言うが、いったん消滅していたイスラエルという国が、1900年以上たった今世紀に入って復活したという事実、またその後の歴史や、これまでからの歩みを見てきた中で、この聖書が、単なる人間の宗教ではなく、事実であるということを確信している。

今、私たちは、キリストの十字架、復活を覚える時期に、ソーシャル・ディスタンスで、働きを一旦停止させられ、人との付き合いを最小限にさせられている。神に立ち返れという、神のあわれみではないだろうか。

今、これまで信仰を拒否してきた人は、自分は罪がないのか、救われているといえるのか、また信仰があると思っていた私たちも、それが本当に神との関係に根ざしたものであったのか、習慣や人間関係に根ざしたものであったのかを振り返る時である。

石のひとりごと2:主が先に立って歩いておられる

私たちクリスチャンたちは、これから、前代未聞ともいわれる経済の崩壊がくることを覚え、覚悟と準備をしなければならない。人々は職場を失い、家や家族を失い、餓死や自殺も出てくるだろう。

www.ynetnews.com/magazine/article/HJcC1vPv8

ニューヨークだけでなく、イスラエルでも、ホームレスの人や、一人暮らしの人をどう守るのかが問題になり始めている。かつてホロコーストの時代、自分と家族の命をもリスクにおいてユダヤ人を助けた”義なる異邦人”を思う。そのようなことが自分にできるのか…自分の弱さに愕然とするばかりである。

しかし、今、主に示されていることは、私たちがいよいよ新しい時代に入る時は、「主が先にたって歩いておられる」ということである。今、世界はいよいよ本格的に新しい時代に入ろうとしている。

イスラエルが、今までとはまったく違う新しい時代、40年の放浪から約束の地に入る時、主は次のように言われた。

聞きなさい。イスラエル。あなたはきょう、ヨルダンを渡って、あなたよりも大きくて強い国々を占領しようとしている。その町は大きく、城壁は天に高くそびえている。その民は大きくて背が高く、あなたの知っているアナク人である。あなたは聞いた。「だれがアナク人に立ち向かうことができようか。」

今日、知りなさい。あなたの神、主ご自身が、焼き尽くす火として、あなたの前に進まれ、主が彼らを根絶やしにされる。主があなたの前で彼らを征服される。あなたは主が約束されたように、彼らをただちに追い払って、滅ぼすのだ。(申命記9:1−3)

今、私たちもまた、新しい時代に入る時、前代未聞の困難とともに、前代未聞の祝福も必ずあるということを覚えたい。同時に、主が前を歩いておられるということを覚えたい。

またもう一点、必要なのは、あわてず、ちょっと広い視点で、状況を見るということとと、よほどのことがない限り、教会の指導者たちに従うということである。イスラエルがヨシュアに率いられて、約束の地に入る時、主は次のように言われた。

・・あなたがたは、あなたがたの神、主の契約の箱を見、レビ人の祭司たちが、それをかついでいるのを見たなら、あなたがたのいる所を発って、そのうしろを進まなければならない。

あなたがたと箱との間には、約二千キュピトの距離をおかなければならない。それに近づいてはならない。それは、あなたがたの行くべき道を知るためである。あなたがたは、今までこの道を通ったことがないからだ。(ヨシュア記3:3−4)

私たちは確かに通ったことのない道に入った。おちついて、大きな視点から、主がどう動かれるのかをみながらついていこう。主はこの困難を通して、前代未聞の祝福とともに、終焉にむかうこの地球上にいる限り、それぞれの使命をはたしていく備えもしてくださることと信じる。

この復活記念礼拝の日曜、各地の礼拝や、各家庭でのオンライン礼拝の上に主の確信と励ましが与えられるように!

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。