エズラ・ネヘミヤ時代の遺跡発見:エルサレム 2020.7.2

イフタ・シャレブ博士と発見された2つのブラエ 出展:Shai Halevy, Israel Antiquities Authority

エルサレムで、約2500年前、バビロン捕囚からエルサレムに帰還した、エズラ・ネヘミヤ時代(ペルシャ時代)のものと考えられるブラエ(押印)が発掘された。この時代の遺跡は非常に少ないことから、当時を考察する貴重な発掘である。

テルアビブ大学考古学部のユバル・ガドット教授と、イスラエル考古学局のイフタ・シャレブ博士が発表した。

<ダビデの町とギバティ駐車場>

エルサレムのダビデの町とよばれる遺跡は、ダビデ王の宮殿とみられる遺跡から、ヒゼキヤのトンネルなど、バビロン捕囚時代までの聖書考古学の宝庫のような場所である。

そのダビデの町の西側、道路を挟んで隣接するギバーティ駐車場と呼ばれる発掘現場がある。ここは元駐車場であったが、2007年に1世紀ごろ(つまりはイエス時代)に、ユダヤ教に改宗し、神殿建設のために多額の献金をしたアディアバネ王国(現在のイラク)の女王ヘレナの宮殿が発見されたことから、本格的な発掘がはじまった。

掘り進むにつれて、第一神殿時代、バビロン捕囚時代、ギリシャ時代、第二神殿時代、ローマ時代、ビザンチン時代、イスラム帝国時代と、歴史を網羅するような遺跡が次々にみつかっている。最近では、ダビデの町南端のシロアムの池から、神殿に続く通路の発掘がすすんでいることで知られていた。

そのギバティ駐車場で、バビロン捕囚から、イスラエルに戻ってきた時代、聖書のエズラ・ネヘミヤ時代のものとみられるブラエ(押印)が発見された。

<バビロン帰還組が、政府帰還の復興を試みていた>

この時代は考古学のブラックホールとよばれるほどに遺跡や発掘物が少なく、当時の様子が、まだよくわからない時代だという。

今回発掘されたブラエは、現地製で、8.5センチと通常、巻物を止めるために使うブラエ(1−1.5cm)より大きいことから、巻物を止める押印ではなく、大きな箱などを閉じる押印であったと考えられている。

ブラエは、巻物や器などのいわゆるシメの役割をした小さな粘土片で、王や書記官など政府関係者のみが利用した、いわばハンコ、紋所のような役割を果たすものである。

出展:Eliyahu Yanai, City of David Archives.

発見されたブラエの一つには、椅子にすわっている人物と、その前に2つの柱があり、バビロンの神ナブとマルドゥクを象徴している。文字は、おそらく偽典(聖書外典)からで、バビロン文化を表している。このことから、ここが単なる家ではなく、政府関係の施設を立てようとしていたとも考えられる。

バビロンから帰還したユダヤ人たちが、捕囚から100年ほどたっているのに、前の第一神殿時代に、政府機能が存在していた、その同じ場所で、再び政府をたちあげようとしていたということである。またこのすぐ北が、神殿の丘なので、神殿を再建することも視野に入れていたということでもある。

この時代の遺跡や、発掘は非常に少ないので、エズラ・ネヘミヤ時代のユダヤ人たちが、正確にいつ戻ってきたのかなどの年代は、特定しにくい。しかし、今回発掘されたブラエは、エルサレムがバビロンによって滅亡した586年BCの層と、333BCの層の間から出てきていることから、この間の時代に帰還したエズラ・ネヘミヤたちが、実際に国と神殿の再興を行っていたことを証明している。聖書に書かれている通りである。

www.timesofisrael.com/2500-year-old-seals-may-show-jews-rebuilding-jerusalem-after-1st-temple-exile/

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。