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イスラエルでは、イスラエル軍が、10月7日に起こったことの調査結果を赤裸々に国民に公表している。
イスラエル軍最大の失敗:ナハル・オズ基地での敗北
新たに明らかにされたのは、ガザから1キロぐらいしか離れていないIDFのナハル・オズ基地と、その近くにあるキブツ・ナハル・オズで起こったことである。
ハマスは、10月7日朝6時45分から、ガザとの国境114ヶ所から5600人がイスラエル領内へなだれ込んできた。このうち4カ所がナハル・オズ周辺だった。
ここには、ガザから850mしか離れていない、イスラエル軍のナハル・オズ基地があり、隊員162人からなる軍隊が駐留していた。ガザに近いことから、監視部隊も置かれていた。
そのイスラエル軍基地で、兵士53人(31人は戦闘部隊、22人は非戦闘部隊)が、ハマスに殺されたのである。このうち16人は女性監視兵たちだった。また、この時、女性監視兵10人が人質として拉致された。何があったのか。
この基地では、ガザ側から入る基地への入り口に立つ見張りは、朝の時間帯は一人のみだった。
またこれまでの間に、ハマスがドローンで偵察していたことも報告されていたが、対策はとられていなかった。
ハマスはかなり詳細にわたってこの基地のこと、またその防衛が甘いということを知っていたとみられている。
そうして、ハマスは、10月7日朝6:45、激しいロケット攻撃と共に、ナハル・オズ基地に地上からと、パラグライダーで基地に侵入を開始した。
この時、軍本体は基地の外にいたらしく、ハマスは、2時間ほどの間に、基地を制覇していた。
この時、わずか3人でハマスに対峙して死亡した、ドル・ラジミ軍曹、オリ・カルミ軍曹、アディル・エシュト・ボガレ軍曹3人は、ヒーローとされている。
続いてやってきた第二波テロリストは、基地に放火。殺害を続け、女性監視兵たちを殺害。10人をガザへ連れ去った。
援軍が来たのは、侵入から6時間近く経った午後1時だった。
ハマスは、近くのキブツ・ナハル・オズにも、朝7時すぎから、180人を超えるテロリスト侵入し始めた。
この時、このキブツの外には、ゴラニ歩兵部隊第13大隊と、国境警備隊ヤマスのメンバー11人がいたが、ハマスのロケット弾で電気系統が破壊されて、停電していたため、入り口が開かず、なかなかキブツに入れなかったという。
キブツの中にいた地元警備員のほとんどは、停電で、射撃用ライフルを、倉庫から取り出すことができなかった。
ハマスは、第2波、第3波となだれ込んできて、キブツの家屋を焼き払い、農場も破壊していった。殺害された住民は13人。8人が拉致された
治安部隊も4人死亡したが、3人は友軍による誤射とみられている。一方、戦闘で死亡したハマスは80人だった。
援軍が来るまでの間、キブツにいたハマスとイスラエル軍の割合は、59:8と圧倒的にハマスの方が多かったとのこと。
援軍が到着したのは、12時5分と6時間近く経過してからだった。
www.ynetnews.com/article/bkritzc00kl
イスラエル軍に続いてシンベト(諜報機関)も失敗を認める報告
イスラエル軍に続いて、諜報を担当するシンベトが、10月7日に関わる失敗を認め、虐殺は避けられたはずだったとの声明を発表した。
まず、ハマスによる地上侵攻の計画は、「エリコの城壁」という名前で、数年前から把握されていたが、正しく処理されておらず、そのまま軍との準備訓練も行われていなかった。
IDFと同様、ハマスは、西岸地区に重点を置いていると思い込んでいた。このため、ガザに対するイスラエルの警戒が下がる中、カタールからの現金で、ハマスは武力のレベルを上げたとみられる。
こうした中、シンベトはハマスの奇襲前日の10月6日に、ハマスがイスラエル国内のSIMカード45枚を有効化しているという、かなり正確な情報を得ていた。しかし、シンベトは、対策を取るようどこにも警告していなかった。
10月7日に、国境、114カ所から5000人以上が侵入してくる中、警告を発するのが軍なのか、シンベトなのか、どの組織がどこへ警告するかが明確でなかった。諜報機関としてのシンベトと、軍の情報共有、働き分担の理解にも問題があったことも明らかになった。
またこれだけの大人数が侵入してくる中、どこへどの部隊を派遣するかを決め、西岸地区から軍を呼び出すにも時間がかかっていた。
IDFのハレヴィ参謀総長と同様、シンベトのダーマー長官も一生背負うことになると言っている。
www.timesofisrael.com/shin-bet-probe-oct-7-would-have-been-prevented-if-wed-acted-differently/
国の責任は?国会で人質家族代表たちと警備員が衝突
イスラエル軍とシンベトが、責任をはっきり認める中、国はまだ明確にしていない。こうした中、ハマスの襲撃を阻止できなかったことを検証する国家調査委員会を設立にむけ、人質遺族たちからなる「40人討論会」が、野党主導で月1回行われている。
40人討論会は、人質犠牲者家族ら1500人を代表する、「10月評議会」のメンバー40人からなっている。政府は3月3日、ネタニヤフ首相の演説(法的義務)を含めこの討論会が行われることになっていた。
אלימות מופנית כלפי משפחות שכולות ומשפחות חטופים שרוצות לצפות בדיון בכנסת על ועדת חקירה ממלכתית. pic.twitter.com/O4Z6J6yyLF
— דפנה ליאל (@DaphnaLiel) March 3, 2025
その時に、どういう経過かは不明だが、警備員たちと乱闘騒ぎになり、遺族の政府への反感が高まる結果となった。遺族たちは、この件に対するネタニヤフ首相の姿勢に反発しており、首相の演説中、怒りを表明し、全員で後ろを向くなどしていた。
石のひとりごと
イスラエル軍に続いて、シンベトも失敗を認めた。いろいろな不具合が重なって、この大惨事になっていた。理解はできないが、主はこうなることを許されたということである。
そこには、イスラエルの高ぶりや、軍備にたよっていたこともあった。イスラエル軍もシンベトも、悔い改めている姿勢といえるだろう。ネタニヤフ首相はどんな思いなのだろうか。国をあげて失敗を認めるイスラエルを、主は高めてくださるだろうか。
先日、来日しているイスラエル人の若い男性と話をする機会があった。兵役が終わってすぐの感じの若い男性である。男性は、自分はユダヤ教のコシェル(食物規定)は基本的なこと以外守ってないと言っており、いわば世俗派のようだった。
その男性が、10月7日のことについて、我々の罪があったかなと思うと自ら言っていた。世俗派とはいえ、イスラエルでは聖書が、自国の歴史であり、皆が読んでいる。
神の前にイスラエルも罪を犯すことがあり、そのツケを払わされることもあったということは、皆が知っているのである。なんともいいようがないが、そういう思いになっているイスラエル人もいるということである。
この青年とは、その罪の贖いになってくれているイエスのことも話すことができた。まあまあ聞いていたとは思う。こんなイスラエル人たちに、主が直接現れてくださるようにと祈る。