解放された人質からの証言に見るイスラエル人の強さ 2025.2.1

Gadi Mozes reuniting with family members in Israeli hospital (Photo: Maayan Tuaf/GPO)

ハマスに管理されていた人質はどんな日々を送っていたのか、その全貌はまだ明らかではないが、15ヶ月もたってから解放された人質から、家族を通じて、少しずつ、その日々の様子が伝えられている。チャンネル12がそれを伝えた内容が、Times of Israelに出ていた。

その内容からすると、イスラエル人らしいというか、彼ららしい強さを思わざるをえない。同時に人質を保護していたハマスとの関わり方も少し垣間見ることができる。

たった一人で正気と体力を維持したガディ・モーゼスさん(80)

昨日解放されたガディ・モーゼスさん(80)は、15か月の間、たった一人で、2メートル四方の部屋に閉じ込められていた。(窓があったかどうかは不明)解放直前に、女性人質のアルベルさんと出会ったのが初めてだったという。

この狭い部屋で、時間をつぶすことと、頭がおかしくならないよう、毎日7キロ歩き回り、床のタイルを数えたり、数学問題を解いたりしていた。拉致の際に壊れたメガネの代わりを保護者に与えてもらい、本を二冊読んだ。

とらえられている中で、パートナーのエフラト・カッツさんが死亡したことも知ったという。解放される日のことを考えず、その日その日でいるようにしたのこと。

食事のことはわからないが、解放時の体重は、拉致以前より15キロも減っていたことからも想像できることである。

またシャワーは、5日に一回、ボールに入ったぬるま湯が与えられ、コップを使って、頭からかぶっていたとのこと。ガディさんは、体を大事にすることの象徴として、髭をそることに固執したとのこと。

これはどの人質も言っていることだが、ガディさんも、ガザで時々見るテレビで、毎週土曜日に、家族たち支援者たちがあきらめずに、人質の解放を訴えている様子、国が私たちが帰ってくるよう戦っている様子にどれほど励まされたかと語っている。

解放の日はそうとは知らされなかったようで、トラックに12時間も乗せられていたという。処刑されるのかと思ったとのこと。

その後、カン・ユニスで大群衆のカオスの中を歩かされた時は、アルベルさんも自分もリンチされると恐怖でいっぱいだったという。

しかし、チャンネル12によると、ガディさんは、自分を捉えていたハマスに、「戦争が終わって平和になったら、ガザに戻ってきて、君たちに農業を教えてあげる」と言ったそうである。これが80歳になる男性なのである。

ハマスとの交渉に勝った?女性兵士リリーさん

in Gaza City on January 25, 2025. (AFP)

女性兵士たちの一人は、ガザの病院で始めて他の人質に会い、自分以外にも人質がいることを知ったという。また時に食べ物が全くない日もあった。

そんな時、兵士たちは、残っていた麦粒を数えて分けあったという。そんな飢餓状態は予想できないだろうと語っている。

イスラエル人は食べることが大好きな人たちなので、これはイスラエル人にとっては、まさにありえない状況だったといえる。

そんな中で、リリー・アルバグさん(左から2番目・18歳で拉致されて今は19歳)は、「レストランに座ったとしたら、何を注文する?」と普通の生活を想像する話をして、皆の心をまともに保ってくれたと他の兵士が語っている。

人質のリリー・アルバグさん

リリーさんは、自らハマスにたのんで、プロパガンダビデオに出たと言う。家族に生きていることを知らせたかったからである。

その際、自分を採用してもらうため、ハマスに、自分の父は政府に声が届く人物だとして、自分を出せば、イスラエル政府に合意への圧力になりうるとアピールしたという。

January 30, 2025. (Israel Defense Forces)

またある時、ハマスは、リリーさんに仲間から離れて、トンネルへ行くよう強要したが、リリーさんは、そんな孤独なところには行きたくないと、「ぜったい嫌」と言い続け、ハマスを負かしたようである。

人質たちは、時々ラジオを聴くことで、解放が遠のいていくことがわかったこともあった。それでも楽観にとどまるようにしたとリリーさんは語っている。他の人質兵士たちからは、リリーさんに助けられたとの声もある。

この人たちもまた、テレビで家族たちがあきらめずに、解放のために戦い続けてくれている様子に励まされたと語っている。

www.timesofisrael.com/pacing-7km-a-day-in-a-tiny-cell-rationing-grains-of-rice-hostages-stories-emerge/

石のひとりごと

どんな悲惨なところに置かれても、ぜったい諦めない、ぜったい生き残るという、イスラエル人の強さを見るような証言である。

特にガディさんは、建国以来の困難を生き延びただけでなく、荒野を開拓して農場を切り開いていった世代であることをそのまま表している。

80歳という高齢でありながら、これだけの苦難にたったひとりで耐え忍んだあげく、最後には、ハマスに、農業を教えてあげると言っているのである。

またもう一つ、イスラエル人のすごいところは、交渉術である、とらわれているにもかかわらず、上手に交渉したのだろう。ガディさんは、眼鏡や本を得ていた。

リリーさんは、勇敢にもハマスに交渉して、家族に向けてビデオを撮影させていた。またトンネルには行きたくないという主張を受け入れさせていた。

敵の前でも恐れない。希望が全く見えない時に、希望を持ち続ける。可能性は高くないときでも諦めずに、交渉してみる。

その交渉とは、こちらの要求をただ要求するのではなく、相手にも得になることを提示しながら、両方の得になるというように話を進めていくということである。まさに、まさに、イスラエル人の特徴であり、日常である。

また、イスラエル人は、イスラエル人であるというだけで、特に命に関わる場合は、他人であっても自分のことのように、戦おうとする人々であるということ。それが人質たちを支えたのである。

イスラエル人は幸せだと言う人が多いことで知られるが、それは、一人一人が国にとって大事な存在だと自覚できるからだと聞いたことがある。

私たちは、ほとんどの場合、暗い将来が見えたら、落ち込んでしまうものである。しかし、ユダヤ人たちは、困難や暗い将来が来たら、逆に強くなるように思う。真似ができるかどうかはわからないが、覚えておきたいと思う。

「絶望という状況はない。絶望している人がいるだけだ。」シモン・ペレス首相

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。