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ガザ戦争続く中、58回目のエルサレム統一記念日
5月25日(日)日没から26日(月)にかけて、イスラエルでは、エルサレム統一記念日を覚える。
58年前の1967年に、イスラエル軍が、六日戦争で東エルサレムを奪回し、それまで東西に分断されていたエルサレムが統一されたことを記念する日である。
25日(日)日没後には、嘆きの壁広場に群衆が集まり、巨大なイスラエルの国旗が広げられていた。
本日26日(月)、午前11時(日本時間午後5時)からは、ネタニヤフ首相も出席して、ヘルツェルの丘で記念式典が行われる。
続いて、午後14時(日本時間午後8時)からは、ダビデの町での式典もある。ネタニヤフ首相も出席する。
ダビデの町は、旧約聖書時代にイスラエル王国が立ち上がり、ダビデ王による宮殿も建てられて、以後イスラエルの王が住んでいたエルサレム旧市街南側の考古学発掘現場である。
エルサレムを首都とするイスラエルが、3000年前にも存在していたことを、科学的にも証明する現場である。
しかし、この地域は明確に、東エルサレムであり、パレスチナ人が多く住んでいる地域である。
パレスチナ自治政府は、東エルサレムを首都とするパレスチナ国家の設立を主張しており、アラブ諸国、ヨーロッパ諸国もそれを支持する立場である。
そのダビデの町で、ネタニヤフ首相含む政府関係者が、エルサレム統一式典を行うという。それだけでかなりの物議であり、危険なことである。
その後は、午後20時からは、毎年恒例となっている、弾薬の丘での国家式典が行われる。ネタニヤフ首相も出席する。
今年もかなり危険?フラッグマーチ
この日、日没前ぐらいからは、右派系、また過激右派のユダヤ人の若者たちの大群衆が、イスラエルの旗を振り、イスラエルの歌をうたいながら、西エルサレムから出発。旧市街のダマスカス門から入って、嘆きの壁に向かって行進する、フラッグ・マーチを行う。
イスラム地区を突っ切るルートなので、毎年緊張が高まる。パレスチナ人がユダヤ人を攻撃することも懸念されるが、昨年は、興奮した過激右派ユダヤ人がパレスチナ人に暴力を振るっていた。状況によっては、ヤッフォ門からなど別ルートになる可能性もある。
今年は特に、ガザで激しい戦闘が続いている中でのエルサレムデーである。ワシントンDCでは、イスラエル大使館職員2人が銃殺された直後である。パレスチナ人だけでなく、その支援者たちの怒りが沸騰状態にある。かなり、危険な1日になりそうである。
以下は嘆きの壁からのライブ中継
エルサレム人口100万人越え:ユダヤ人は57%
CBS(中央統計局)によると、東西統一後58年になるエルサレムの人口は、104万6300人と、初めて100万人を突破した。イスラエル人の10人に1人はエルサレムに住んでいるということである。
今年エルサレムで生まれた新生児は、1万7900人(イスラエル全体の14%)で、転入者は1500 人だった。
エルサレム住民のうち、ユダヤ人は57%で、アラブ人が38%。2024年のユダヤ人人口は51%だったので急増しているようである。
エルサレムに在住するユダヤ人のうち、51%は超正統派なので、出産が多いことも増加に影響していると推測される。
また、この1年の間に、エルサレムから転出した人は、転入した人より多かったが、転入した多くは、超正統派だった。エルサレムでは、多産の超正統派が増加傾向なので、今後も人口は増えていくと予想される。
加えて、東エルサレムのアラブ人たちも出生率は高い。このため、エルサレムでは、14歳以下の子供の数が31.7%と、他地域に比べて、極端に子供の数が多い。14歳以下の率は、ハイファで18.9%、テルアビブでは18.2%である。
一方、65歳の高齢者は、エルサレムではわずか9.5%。ハイファでは20.7%、テルアビブでは15.6%である。