目次
建築家でアーティスト、ウディ・ガルディさん(50)。10月7日のハマス襲撃で逃げてくる若者たちを救出するという経験をしたイスラエル人である。
ウディさんは、たまたまこの事件に遭遇し、その後3ヶ月にわたってガザ国境から避難した同胞たちを助けた。その後、テルアビブでの本職に戻ったが、5か月前に、職場を退職。これまでからも続けていたアートに集中する日々を送っている。
そうした中、この4月、妻のエフラットさんと2人の娘、ナアマさん(20)、イリスさん(18)と、3週間の予定で日本への旅行を計画したという。この4月13日(日)、ウディさんと京都でお会いし、これまでのことや、心の思いをお聞きした。
たまたまそこにいた:10月7日
その日に関する話は非常に興味深いことことから始まった。ウディさんは、そのころ、「ミド・バム」という、イベントの企画員の一員の一人として、ガザ国境のノバ音楽フェスを見下ろす位置で行われていたミーティングに参加していた。
「ミド・バーン」は、1990年代にアメリカで始まった「バーニングマン」というイベントのイスラエル・バージョンである。
このイベントでは、ひと月ほどかけて、砂漠の何もないところに町を形成し、そこで1週間の共同生活をする中で、互いのアート作品や、コンサートなどを楽しむ。終わったら、すべてを跡形なしに片付けて別れていく。年1回行われるイベントである。
イベントのテーマは、電気や水道といった日常の当たり前から離れ、1週間、自立生活を営む中、交流と助け合いを楽しむ。
ビジネスはいっさい持ちこまず、終わったらすべて消し去るというものである。アメリカでは、約8万人が参加する非常に大きなイベントになっている。
イスラエルでは2014年に始まり、スデ・ボケルに近いネゲブ砂漠で開催されるようになった。これまでで最大の参加人数は、1万2000人にまで大きくなっていた。
2023年度は、初めて、ガザ国境周辺の高台で、10月7日から開始として計画され、9000人が参加を申し込んでいた。しかし、事務的なことなどで、開催が1か月延期になった。
このため、10月7日当日に、開催予定現地に集まっていたのは、ウディさん含む、ボランティアの90人だけであった。
これは、奇跡だったと思う。もしイベントが、延期になっていなかったら、参加者9000人もハマス襲撃の影響を受けていたかもしれない。
ハマスの襲撃があった10月7日早朝、ウディさんたちは、上空をロケット弾が飛び交い、それらが迎撃される様子を目撃した。また、高台だったので、ノヴァ音楽フェスにいた若者たちが、一斉に散らばって逃げていく様子も目撃したという。
ネットなどを通してハマス襲撃のニュースが飛び込んできたので、ウディさんや、その他のメンバー10人がそれぞれの車で、人々の救出に、ノヴァへ向かった。
ウディさんたちがいた場所と被災地の間には、キブツがあり、中にまでは入れなかったが、なんとか脱出してきた若い男性1人と女性2人の3人を救出し、車で安全なところまで連れて行った。それから現場に戻ることはできなかった。
ウディさんによると、車の後ろにいた一人の女性は頭を抱えてどうしようもない様子だったという。しかしこの女性は、この男性と友達と一緒にいてよかったとウディさんは実感を込めて語っていた。
3か月間の避難民支援
その後、ガザ周辺避難民、約16万人が、全国で避難生活を強いられることとなった。
このうち5ー6万人は、死海周辺、エン・ボケックのホテルに避難していた。
突然のことで、政府は何もできないままだった。子供たちも大勢いたが、学校を再開することもできないでいた。
避難民たちは、ウディさんたちプログラムを以前から知っていたのか、ウディさんに助けを求めてきた。
このため、ウディさんたちは、避難民たちがいる、ホテル周辺に学校の代わりになる施設を作り、医療を提供する場所を作るなどして、避難民を助けた。
物理的な支援の後は、主に心のケアを行った。PODSと呼ばれる心理学に基づいて、実際に被災した家族たちに向き合ったという。
ウディさんたちの活動が認められ、NGO団体アヒーム・ラネシェックという団体が、ウディさんと協力するようになり、ウディさんたちの活動はさらに拡大していった。
この間、北部ではヒズボラとの戦争になり、北部住民もホテル生活を強いられたため、ウディさんたちは、北部でも同様の支援活動を行った。
「ミド・バーン」で、建築家として、また即興で1週間だけのまちづくりをしてきた経験が、ここで、フルに生かされたということである。
ウディさんは、この3か月は、日々忙しかったが、充実感を感じる日々だったと振り返っている。
その後いったん、前のテルアビブの建設業の仕事に戻ったが、5か月後に退職したという。しばらく、時間を空ける必要があると感じたとのこと。今は、趣味のアートに集中したいと考えたとのことであった。
ウディさんのアート:イスラエルの過去とつながる考古学をアートに
ウディさんは、16年ほど前から、イスラエル国内にある考古学の現場の層を、タイルに描きこんで、それを室内に飾るアート作品に仕上げる、非常にユニークな作品に取り組んでいる。
イスラエルの歴史は3000年に及んでおり、考古学的な発見は、さまざまな時代が折り重なって発見される。建物は複雑に組み合わさって、おもしろい形になっている。
そこから、それぞれの時代のストーリー、そこにいた人々の様子が、そこから読み取れるのである。イスラエルそのものである歴史をアートに込めているとのこと。
ウディさんが特に紹介してくれたのは、エルサレムの聖墳墓教会、ヘロデ大王の宮殿(ヘロディオン・写真)や、マサダもある。
筆者が特におもしろいと感じたのは、ナザレの受胎告知教会。またヘロディオン。
実際の現場を見たことがあることも要因かもしれないが、そこで動き回っていた人々の様子を想像するとさらに魅力的に見えてくる。
作品になる図は、ウディさんが、国立図書館のある多くの考古学系書物を長時間かけて調査して作成。
それを印刷できるシルクスクリーンに何重にも分けた版画にまで仕上げて、タイルに印刷したあと、焼き込む。色は赤か緑である。
タイルに描くというのが、ポイントだとウディさん。タイルは、基本的に考古学的に発見される陶器と同じ陶器で、過去と今、未来をつなぐという意味合いがこめられている。
ウディさんの作品を最初に見たときは、一見、普通の設計図に見えたのだが、ウディさんの話を聞きながら、なんとも魅力的なアート作品に見えてきた。ウディさんのインスタは以下で。
www.instagram.com/relic.artstudio/?igsh=ZGxzeHdkZzAxODRt
なお、ウディさんは、一つの作品から印刷して商品にするのは、50作品までと、独自で決めている。以下のサイトから購入できる。
値段は3万円弱から8万円弱ぐらい。ぜひ日本からも購入する人が起こされたらと願う。
www.etsy.com/shop/relicarchive/?etsrc=sdt
祖国イスラエルへの想いと次世代への想い
ウディさんは、自身は無神論者で世俗派だと語っている。そのため、今の強硬右派政権とは同意できない点が多く、怒りを感じているようだった。
特にハマスがここまで成長したのは、ネタニヤフ首相の失策が大きな原因だとして、その当の人物が、今も国のトップであることに憤りを感じている。
また今、そのネタニヤフ首相の方針で、イスラエルがガザを攻撃し続けているが、これは、イスラエルへの恨みを積み上げるだけで、イスラエルのためにならないと考えている。
イスラエルは敵に囲まれ、これからどんどん落ちていくだろうと深い懸念を語っていた。
ウディさんは、国立図書館の特に考古学セクションでは多くの発見があり、自分の家のように感じると書いている。イスラエルに関する懸念は、祖国を愛するがゆえの懸念なのだろう。
ウディさんは基本的には世俗派だが、コミュニティとしてのユダヤ人とその国、イスラエルへの想いを語っている。
ウディさんの母方の祖父母は、ホロコーストの時代、ロッジゲットーにいた。その究極の状況の中で、祖母は看護師として、祖父は裁判官として、ゲットーの中で、自分の役割を果たしていたという。「これはユダヤ人というよりは人間が普通にすることだ。日本人も災害時にはそうだった」とウディさん。
これからの時代を生きていく娘さんに対しては、できたらヨーロッパで学んで、多様な世界を見て、それからイスラエルに戻ってきてほしいと語っていた。
石のひとりごと
イスラエル人は実に多様である。大きくみれば、ユダヤ教に忠実な人は右派系となり、世俗的な人は左派系になっている。ウディさんは後者だが、話を聞きながら、ごく普通の、常識的で、良心的な市民の平和への思いを少し理解できたように感じた。
実際のところ、聖書の神は厳しさもあるが深い愛の神でもあるのに、右派の人々が掲げる聖書的な考えと、左派で普通の日常を送るための平和への思いとが、なぜ一致しないのかとも思わされた。
すべてのパズルは、今は解けないが、将来、誰の目にも明らかになる日が来ることと思う。