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戦後80年ホロコースト記念日「深淵からの脱出:苦悩から再生へ」
イスラエルでは、4月23日(水)、日没から、ホロコーストを覚える記念日に入った。夕刻からは、ヤド・ヴァシェムでの記念式典が行われた。今年は、1945年の終戦から80年となる記念すべき年である。
今年は、特にナチスが崩壊した後、ホロコーストを生き延びたユダヤ人たちを覚えることがテーマとされた。タイトルは、「Out of the Depths: The Anguish of Liberation and Rebirth 深淵からの脱出:苦悩から再生へ」である。
www.yadvashem.org/remembrance/archive/central-theme/liberation.html
1945年、世界が終戦に歓喜する中、ホロコーストを生き延びたユダヤ人たちは深い絶望を経験していた。
ヨーロッパにいたユダヤ人人口の3分の2にあたる600万人を失い、家族親族だけでなく、住む家や土地も失っていた。ポーランド中部の町、キルチェでは、戦後にポグロムが発生し、ユダヤ人が殺された。
連合軍は、ユダヤ人と他のヨーロッパの避難民とを分けて収容しなければならなかった。ユダヤ人専用のキャンプはDPキャンプと呼ばれた。
ユダヤ人たちは、この不条理きわまりない、苦悩にもしゃがみ込むことなく、DPキャンプで、違いに支え合いながら、回復の時を過ごした。そうして、1953年までに、サバイバーたちはみな、DPキャンプから卒業し、新たな人生へと立ち上がっていったのである。
それから80年、皮肉なことに、イスラエルは、ホロコースト以来とまで言われるハマスの残虐な虐殺を経験することとなった。人質59人はまだ救出できておらず、暗闇の中にいる。ガザでの戦争は激しさを増している。
被害を受けた側であるにもかかわらず、世界からは、逆にガザで攻撃していることを非難されている。この危機の中、国内では、これまでになかったほどの分断に直面しており、国の存在を危ぶむ声も出るほどになっている。
今年は、式典の始まりにおいて、ガザにまだ捕らえられている59人の人質が、無事に解放されるようにとの祈りで始まっていた。
今、この時に、ホロコーストから立ち上がった時代を共に覚えることで、互いの一致の必要性と、ユダヤ人として、決して負けることのない回復力も確認しようとしているようにも見える。
コロナの時代に、式典は限定された人々だけが参加し、オンラインとなった時もあったが、今年は、以前のように会場は満席であった。
ヘルツォグ大統領:分断に警告と一致を呼びかけ
ヘルツォグ大統領は、式典でのメッセージで、大統領官邸に毎日のようにサバイバーたちが来ると語った。
100歳近い人もおり、孫やひ孫を連れてきて、私たちは勝利したと語るという。
サバイバーたちは、明るい信仰を持ち、楽観主義者で、驚くばかりの内面の強さを持っている。しかし、そのサバイバーたちが、口を揃えるように、今の国内の分断をどうにかしてほしいと懇願すると語った。
イスラエルは今、司法制度改革、ガザでの戦闘と人質の解放などで、大きく分断する危機にある。この式典には、ネタニヤフ首相が解任しようとして、司法が拒否したシンベトのロネン・バル長官も出席していた。
バル長官(右)は、ネタニヤフ首相が、司法制度改革問題で、危機的な状況になれば、司法ではなく、首相への従順を求めたなどと訴える文書を、法廷に提出したところである。
このように、イスラエルは今、政府と司法の対立という危機に立っている。加えて、ガザでの攻撃か、停戦・交渉かで、大規模なデモが続くという、これまでになかったような分断の危機に直面している。
ヘルツォグ大統領は、国民に対し、分断を引き起こす声に惑わされて、内から分断することのないよう、警告し、一致を呼びかけた。
またこのホロコースト記念日から、独立記念日までの10日の間、国家への責任として、それぞれの心を鎮めるようにと呼びかけた。
www.timesofisrael.com/herzog-at-yad-vashem-history-wont-forgive-those-destroying-israel-from-within/
ネタニヤフ首相:強さがあれば分断しない
ネタニヤフ首相は、ヤド・ヴァシェムでのメッセージで、ハマスは、ナチスと同じだとして、この悪と戦うことの重要性を強調した。
ホロコースト時代のユダヤ人と違い、今のイスラエルは弱くないと語り、「決して降伏しない」と述べた。イスラエルが敗北したら、それは、欧米諸国の敗北へと続くことだと述べ、決して負けるわけにはいかないとの強い意志を表明した。
また、ハマスに勝利して人質を全員解放すること、イランの核兵器開発を阻止すること、世界を脅かす、あらゆる脅威と、間に合ううちに力強く戦う。これがホロコーストから学ぶことだと語った。
このイベントに先立ち、ネタニヤフ首相は、式典で、6つのトーチに火を灯す6人のサバイバーたちと面会していた。その時、ネタニヤフ首相は、「私は人々に愛してもらいたいわけではない」と語っていた。
愛されることが目標ではないが、敬意は持ってもらいたい。国家はたとえ憎み合っていても、お互いに尊重できれば、攻撃しあって分裂することはないと語った。
その上で、もし十分強ければ、尊重される(戦いは起こらない)。もし弱かったら愛されるかもしれないが、それでも結局、ユダヤ人を滅ぼそうとする。それがユダヤ人に起こってきたことなのだと語った。
www.timesofisrael.com/herzog-at-yad-vashem-history-wont-forgive-those-destroying-israel-from-within/
今年灯火に選ばれたサバイバーたち:人質解放を叫んで灯火した人も
ヤド・ヴァシェムでの式典では、サバイバーたちが、子や孫とともに6つの台に灯火する。サバイバーの一人は、灯火する際、人質が解放されるよう、祈りを捧げていた。
1)アリー・ダーストさん(92)
ポーランド生まれ。ナチスに兄を殺されたが、偽の証明書を使い、間一髪で脱出するなどして生き延びた。戦後、イスラエルに来て医師となり、IDFの従軍医として活躍。臓器移植の先駆者となった。
2)モニカ・バルゼルさん(88)
ベルリン生まれ。爆撃や疫病を逃れ、祖母を殺され、アウシュビッツ送りを逃れて、生き延びた。歯科医となり、イスラエルに移住してからも人々に奉仕を続けた。
3)フェリックス・ソリンさん(93)
ベラルーシで生まれたが、家族と引き離され、ユダヤ人であることを隠し、ロシア人孤児として、孤独の中で生き延びた。家族とは後に再会を果たした。ソリンさんは、研究者、教育者として、今も活躍している。
4)レイチェル・カッツさん(88)
ブリュッセルのアントワープで生まれ、アウシュビッツで父親が殺された。レイチェルさんと残された家族は、地下組織などの助けで、長い潜伏生活の中で生き延びた。イスラエルに移住後は、ホロコーストサバイバーを支援する団体で働いた。
5)アリー・ライターさん(96)
ルーマニア生まれ。労働強制収容所で父親を亡くした後も自身は生き延びた。兄弟に続いて自分もイスラエルへ移住。銀行業界で働く傍ら、ベエルシェバの地域活動で貢献したことが認められている。
6)ガド・ファルトゥークさん(94)
チュニジア生まれ。ナチス占領下で飢餓を経験し、母を失いながらも生き延びた。戦後、イスラエルへ移住。シオニスト青年会に所属して、キブツを立ち上げた。写真家となり、活躍した。ファルトゥークさんは、灯火する直前に人質が解放されるようにとの祈りを叫んだことが注目された。
שורד השואה גד פרטוק נשא תפילה לחזרת החטופים טרם הדליק את המשואה בטקס הרשמי ביד ושם@yaara_shapira pic.twitter.com/VRZS2WwMXW
— כאן חדשות (@kann_news) April 23, 2025
全国で2分のサイレン
例年の通り、今年もイベントの翌日午前10時、イスラエル全国では、ホロコーストを覚えるよう、呼びかける2分間のサイレンが鳴り響いた。
人々は、車を止め、立ち止まって、ホロコーストの犠牲者や、その時のことに敬意を払う時を共有した。
以下は24日(木)10時にサイレンとともに始まったヤド・ヴァシェムでの式典と、国内で市民が、立ち止まって2分間の黙祷を捧げる様子。
石のひとりごと:ユダヤ人の祈りは常に尻上がり
いつもながら、サバイバーたちが、あれほど深いところから立ち上がった様子には、力をもらう思いがする。ゴルダ・メイヤーが、「悲観的という贅沢は、私たちには許されていない」と言った通りである。
また、今回は、ネタニヤフ首相が、「愛されることが目標ではない」と言っていたことにも、なんとも感動を覚えた。
ネタニヤフ首相にとっては、自分が人々に受け入れられることなどどうでもよく、要は国が生き延びるために何をしたらよいかだけを考えている、そのためなら、たとえ自分は嫌われても、何でもすると言っているのである。
そのネタニヤフ首相は、国内からの大きな反発を受けながらも、強さの必要性を強調している。
それは、「ユダヤ人は結局、どの時代にも滅ぼしに来る敵がいる。強大な強さを見せることで、相手が怯んで、攻撃して来ないようにするしかない。もしくは戦いになっても勝つしかない」と考えているからである。
その理論は、特に、中東においては、正しいことかもしれない。しかし、それが破られたというのが、今回のハマスの攻撃だった。ハマスは、強大なイスラエルの軍事力に怯まなかったのである。
ではどうしたらいいのか。国内にはさまざまな論議があり、一致できないでいる。イスラエルは結局、軍備を整え、理解できる範囲で、最善を尽くしながらも、最終的には、自力ではなく、常に主に立ち返る、主に頼るしかないところに置かれるのではないかと思う。
思った通りに事は運ばない。これは人間的には悔しく、また腹立たしくもあるだろう。聖書にあるダビデの祈りの多くがそうだが、まず神に向かって、率直に苦しみを訴え、疑問も絞り出している。
しかし、後半になると、主はあわれみ深い神であること。それこそが救いだとの認識で終わる。いわば、だいたいが尻上がりなのである。
ホロコースト記念日のイベントの最後の祈りも、「あわれみ深い神へ」である。これは、歌歌いの男性が、メロディにのせて捧げる祈りで、600万人の女性や子供たちも殺されたと、理解を超えた深い苦しみを叫びながらも、最後には以下のようになっている。
・・・あわれみ深い神は、彼らを永遠にその翼の奥に隠し、人生の苦難の中で彼らの魂を元気づけてくださる。主は彼らの相続財産である。エデンの園が彼らの安息の地である。彼らは終わりの日までそこに立ち続けるだろう。皆がアーメンと言う。
また、ヤド・ヴァシェムでは、特に聖書の詩篇23を祈ると書かれている。ユダヤ人とその神、主との関係は非常に深いと思わされる。
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。(詩篇23)