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ガザでは今も人質20人が生きていると推測されている。地下トンネルで、命の危機と直面しながら、1年半を超え、今頃どこでどんな思いで生きているのだろうか。まさに想像を絶する地獄の日々だろう。
この時期に、ニューヨークタイムスが、元人質の体験を記事にしていた。
www.nytimes.com/2025/06/10/world/middleeast/hostages-god-gaza-tunnels.html
505日の人質の日々を生き延びたオメル・シェム・トーブさん(20)

オメル・シェム・トーブさん(20)は、人質になる経験を経て、505日後に解放された。
オメルさんは、ヘルツェリア出身。人質になる前は、ごく普通のイスラエル人の若者であり、まったくの世俗派だった。従軍を終えた後は、海外旅行に行こうとアルバイトしていた。
2023年10月7日、オメルさんは、ノヴァ音楽祭に参加していてハマスの襲撃に巻き込まれ、逃げる中で捕まって、ガザへ拉致された。この時友達のマヤ・レゲブさんとその弟イタイ・レゲブさん(18)と一緒だった。
この時、車で危険域から出ていたオリ・ダニノさん(数時間前にあったばかりの人)が、オメルさんたちに電話をかけてきてどこにいるのかを聞き、また助けに戻ってきてくれたという。
4人が乗った車は、ハマスの襲撃を受け、レゲブさんたちが負傷した状態で4人ともガザへと拉致された。
この時、オリさんは3人とは別のところへ連れて行かれ、最終的には、昨年8月に、ゴールドバーグ・ポーリンさんたち5人とともに、トンネルの中で殺されることになっていた。
ガザにつくとオメルさんは、トンネルの中を長く歩かされ、その後出て家に入り、そこで傷の手当てを受けた。レゲブさんたちとも合流した。
その後、オメルさんたちは、イスラエルの空爆の中、身の危険も感じながら何度も移動させられた。時にアラブの女性の格好をさせられたという。
その後、レゲブさん2人は、2023年11月に解放されていき、それから先、オメルさんは、ずっと一人で捕虜生活を続けることになった。最初50日はずっとトンネルの独房の暗闇で、食べ物も1日にビスケット1枚と塩水少々だけだった。
オメルさんとその母を支えた聖書の詩篇20篇
オメルさんは、全くの世俗派だったが、ガザで人質になって数日後から、神に語りかけるようになったという。

27日経ったころ、オメルさんを拘留していたパレスチナ人が、一つの読み物を持ってきた。
イスラエル兵が残していったもので、パレスチナ人たちは、ヘブライ語が読めないので、もしかしたら、軍関係の資料かもしれないと思い、オメルさんに翻訳してもらおうと思ったのである。
その中に聖書の詩篇20が書かれたカードがあったという。オメルさんが、それを読むようになった。
驚いたことに、ちょうど同じ頃、オメルさんの母、シェリーさんも、空になったオメルさんの部屋で、詩篇20篇を毎日読むようになっていたのである。
ガザで囚われている息子が、同じか所を毎日読んでいたとは予想もしなかったことである。
指揮者のために。ダビデの賛歌
1 苦難の日に主があなたにお答えになりますように。ヤコブの神の名が、あなたを高く上げますように。2 主が聖所から、あなたに助けを送り、シオンから、あなたをささえられますように。
3 あなたの穀物のささげ物をすべて心に留め、あなたの全焼のいけにえを受け入れてくださいますように。セラ
4 主があなたの願いどおりにしてくださいますように。あなたのすべてのはかりごとを遂げさせてくださいますように。
5 私たちは、あなたの勝利を喜び歌いましょう。私たちの神の御名により旗を高く掲げましょう。主があなたの願いのすべてを遂げさせてくださいますように。
6 今こそ、私は知る。主は、油をそそがれた者を、お救いになる。主は、右の手の力をもって聖なる天から、お答えになる。7 ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主を御名を誇ろう。
8 彼らは、ひざをつき、そして倒れた。しかし、私たちは、立ち上がり、まっすぐに立った。9 主よ。王をお救いください。私たちが呼ぶときに私たちに答えてください。
オメルさんは、出される食べ物で、肉とチーズは一緒には食べないなど、できるだけ、ユダヤ教の食物規定を守ろうとした。解放されたら、毎日、テフィリン(祈りの時のショール)をつけて祈ると神に約束もした。
神に願い事をするようになり、そのいくつかはかなえられるという経験もしたという。
オメルさんは、慢性の喘息を持っている。呼吸ができない様子を見て、捉えていた者が吸入器を持ってきたほどだった。オメルさんは、神にどうかどこかへ連れ出してくれるよう頼んだ。
するとその10分後に、白いタイルで、電気もある大きな地下室へと移動させられたのである。オメルさんにとっては、楽園だったという。
2日後、独房に戻されると言われ絶望していたら、イスラエル軍の攻撃で通路が破壊され、独房には戻れなくなり、そのままの場所に止まった。
オメルさんは、捉えているパレスチナ人と良い関係を維持しようと思い、いろいろな家事や仕事を手伝った。そうして安息日の金曜には、与えられた葡萄風味の飲み物をワインの代わりにして祝福し、キッパの代わりに手を頭に手を置いて祈るようになった。
そうして、505日後、今年2月22日、オメルさんはついに、解放されたのであった。
www.nytimes.com/2025/06/10/world/middleeast/hostages-god-gaza-tunnels.html
苦悩続きのユダヤ人が証言:人は頼れる神を必要としている
オメルさんは、「人はだれでも、頼れるものを必要としている。私の場合、それは神だった」と語っている。オメルさんだけでなく、釈放された多くの人質が同じことを言っている。
人質になって491日日目に出てきたエリ・シャラビさんは、人質の間、ずっと「シェマー・イスラエル」を言っていたという。これは、聖書の中の申命記6章4節「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神、主はただひとりである」である。
ユダヤ人たちはあらゆる時にこの言葉を口ずさんでいる。ホロコーストの時には、銃殺される直前までこれを叫んでいた人がいたという証言が残されている。
しかし、エリさんが解放された時に聞かされたことは、妻とティーンエイジャーだった2人の娘が、ハマスに殺害されていたということだった。エリさんは、今、この究極の不条理に直面しながらも、シェマーと言っているのだろう。
ホロコーストを生き延びた、ヴィクター・フランケル氏(オーストリアで心理学者)が、“He who has a why can bear with any how.” (なぜを知っている人はすべてのことに耐えられる)という言葉を残している。
何のために生きているのかを知っている人は、どんなことにも耐えられるということである。究極のところ、神がいる、神が全ての支配者であり、自分も目的を持って創造されたことを知っていれば、どんな不理解、不条理にも耐えられる可能性をユダヤ人は教えてくれているようである。
石のひとりごと
この記事は、オメルさんにインタビューして記録した、アメリカのニューヨークタイムスの記事をまとめたものである。
詩篇20篇のカードは、オメルさんのために主が届けたのだろう。その詩篇20篇を離れていた母と息子が同時に読んでいたことに感動させられた。
また、これを兵士が持っていたことにも感動である。イスラエルの軍は、やはり主の名前が付けられている軍なのだ。何があろうが、主が目を離すことはない。
ガザにいる人質を覚えてとりなすときに、主の目は彼らから決して離れていないことを覚えたい。
なぜこんなにも時間がかかり、ここまで苦しまなければならないのかはわからないが、詩篇20篇を読みながら、彼らを覚えて祈っていきたいと思う。